私達の暮らしと税金
高校生の作文優秀作公開
京都府知事賞
税金で守る祇園祭のバトン

京都産業大学附属高等学校 二年
吉川 実那

 夏休みが始まって最初の土曜日、私は家族で祇園祭に出かけた。新型コロナウイルスの影響で3年間もの間見ることができなかった鉾を目の前にしたとき、思っていたよりずっと大きく圧倒され言葉を失った。それと同時に、美しく力強い鉾の色合いや細かく繊細な装飾に思わず胸が熱くなった。

 「やっとやな。」

 隣で祖父が呟いた。三年ぶりに見る鉾は、とても美しく、三年間のブランクがあったとはとても思えなかった。

 そして私はふと、あることを思いだした。“物や家は使わないとどんどん廃れていく”

 これは私の祖母がよくいうことだ。たしかに私もよく体感することがある。ずっと放置していた楽器は音が出ないし、何年も使っていなかった水道の蛇口をひねっても、中が錆びていて水は出ない。では、3年間人目に出てこなかったはずの鉾はなぜ今もなお変わらず私たちを感動させるのか。私たちが全く知らないところで、誰かが管理していたとでもいうのだろうか。

 私は気になり、家に帰ってすぐに調べた。すると、伝統技術の伝承や鉾の管理のための保護会があり、三年もの間この保護会の人達が鉾を守っていたことを知った。また、この運営には税金や寄付されたお金が使われていることも知った。こんなに大きく繊細な鉾は、壊れたりしてしまわないように管理するだけできっとたくさんのお金がかかるのだろう。私は、今まで税金は義務教育での教材費や医療で使われていることは知っていたが、このように文化を守っていくことにも使われていたことは知らなかったので驚いた。

 私はよく、税金を払うことに対して億劫に思っていた。100円均一とうたうお店は税金を足すと100円では買えないし、何をするにもどこへ行くにも”余計”にお金がかかってしまうと思っていた。でも決してそのお金は“余計”ではなかったと知った。私は鉾の管理をすることは出来ないし、京都に住んでおきながら伝統的な文化についてまだまだ知らないことばかりである。しかし、税金という形で日本の大切な文化のバトンを未来に繋いでいくために少しでも役に立てたのかな、と思うと少し嬉しく感じた。税金は、少し違う形となって結局私達の元に帰ってくる。これからも私は、税金と共に生きていこうと思った。