
京都府知事賞
傘と税金を忘れるな
舞鶴工業高等専門学校 3年
岩本 千尋
私の故郷である兵庫県豊岡市では、「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が浸透しているほど雨が多い地域である。朝は晴れていても昼から雨が降るかもしれないから、
傘を常に持ち歩いておこうという教訓だ。しかし、過去、傘では太刀打ちできない大雨が豊岡を襲ったことがあった。
私が生まれる二年前の話になる。2004年10月20日に日本に上陸した台風23号は、高波・大雨・土砂崩れ・洪水など、近畿地方に限らず広い範囲に多大な被害を及ぼした。実際に、豊岡市約6時間の総雨量は160ミリメートルを記録し、 全世帯の半数が水没した。豊岡市役所や公立豊岡病院も泥水の海に浸水した。円山川と出石川で堤防が決壊したことが原因だった。川の水位は急激に増加し、1時間で1.5メートルも上昇した。避難勧告発令から危険水位を超えるまでの時間が短く、 死者・行方不明者は98人と、人的被害が極めて大きい台風だった。
また、台風が去った後のゴミ処理も大きな負担となった。豊岡市では、この災害だけで年間のゴミ総量を上回り、3万トンの災害ゴミが出た。
大災害の爪痕が残る豊岡市を救ったのは、人々の復興への想いと、税金だった。台風23号は激甚災害に指定することが閣議決定され、復興の予算が付いた。仮設住宅代替としての民間アパート借り上げ提供や、住宅再建への各種支援が行われ、 被災中小企業への支援、被災者にも直接の支援が多くなされた。堤防の強化河川の浚渫等のインフラの整備も進み、台風の被害から4年経ってようやく、濁流で住処がなくなってしまっていたオオサンショウウオが出石川に放流された。他にも、、
今では豊岡市は、「災害のない町」なんて呼ばれている。実際、私が生まれてから、堤防は一度も決壊していない。
私たちが納めた税金は私たちの町を守ることに繋がっている。台風23号で自衛隊が姫路から豊岡にたどり着けたのは、その数年前に整備されていた円山川の桜堤の上を通ることができたからだった。「災害のない町」ができたのは、豊岡市の人々が、 過去の災害から学び、未来に向けて備えることの大切さを理解しているからだ。私たちの町が安全であることは、日々の努力と支え合いの結果である。そのために使われる税金は、私たちの未来を支える資源であることを忘れてはならない。
私が生まれる二年前の話になる。2004年10月20日に日本に上陸した台風23号は、高波・大雨・土砂崩れ・洪水など、近畿地方に限らず広い範囲に多大な被害を及ぼした。実際に、豊岡市約6時間の総雨量は160ミリメートルを記録し、 全世帯の半数が水没した。豊岡市役所や公立豊岡病院も泥水の海に浸水した。円山川と出石川で堤防が決壊したことが原因だった。川の水位は急激に増加し、1時間で1.5メートルも上昇した。避難勧告発令から危険水位を超えるまでの時間が短く、 死者・行方不明者は98人と、人的被害が極めて大きい台風だった。
また、台風が去った後のゴミ処理も大きな負担となった。豊岡市では、この災害だけで年間のゴミ総量を上回り、3万トンの災害ゴミが出た。
大災害の爪痕が残る豊岡市を救ったのは、人々の復興への想いと、税金だった。台風23号は激甚災害に指定することが閣議決定され、復興の予算が付いた。仮設住宅代替としての民間アパート借り上げ提供や、住宅再建への各種支援が行われ、 被災中小企業への支援、被災者にも直接の支援が多くなされた。堤防の強化河川の浚渫等のインフラの整備も進み、台風の被害から4年経ってようやく、濁流で住処がなくなってしまっていたオオサンショウウオが出石川に放流された。他にも、、
今では豊岡市は、「災害のない町」なんて呼ばれている。実際、私が生まれてから、堤防は一度も決壊していない。
私たちが納めた税金は私たちの町を守ることに繋がっている。台風23号で自衛隊が姫路から豊岡にたどり着けたのは、その数年前に整備されていた円山川の桜堤の上を通ることができたからだった。「災害のない町」ができたのは、豊岡市の人々が、 過去の災害から学び、未来に向けて備えることの大切さを理解しているからだ。私たちの町が安全であることは、日々の努力と支え合いの結果である。そのために使われる税金は、私たちの未来を支える資源であることを忘れてはならない。