私達の暮らしと税金
高校生の作文優秀作公開
京都府租税教育推進連絡協議会賞
「とりたてるカネ」から 「自ら納めるカネ」へ

京都府立西舞鶴高等学校 1年
古賀 みずほ

 税とは「国や地方公共団体が、国民からとりたてるカネ」である。では「とりたて」とは何か。それは「催促して取ること。強制して取ること」である。

 私は、この税の作文を書く上で国語辞典を開いてみた。辞典によって書き方は異なると思うが私の持っている辞典には前のように書かれていた。確かに、税の説明として、これは妥当であると思う。しかし、この説明では誤解を生む点があると思う。

 それは、「何故」というところが無いという点である。「何故、強制して取るのか」「何故、催促して取るのか」それが無くては、国がただ国民からカネを巻き上げる悪党になってしまう。では、言葉を正しく説明するはずの辞典が言葉足らずで、国が悪党であると勘違いしてしまうような書き方を何故するのか。それは、国民が税を納めるにあたって消極的な考え方を持っているからであると思う。実際に私も税を納めるということの「何故」を知るまでは「どうして、消費税なんて払わないといけないの」と消極的でめんどうに思っていた。けれど、税が私の生きている街のあらゆる場所で姿を変え、私を支えて助けていることを知って私は税の大切さを知った。

 例えば、道路。道路の舗装、安全を守る信号機や標識。その全てが税によってまかなわれている。もし税が無かったら、道はガタガタ、事故ばかりが起きて私達の命さえもおびやかしてしまう。他には、子供たちが通う学校の設備や小中学生であれば教科書の配布、救急車や消防などの公共サービスなど。こうして考えてみると、税は時に私達の命を助け、子供たちに豊かな学力をもたらしている。

 そして、これまた驚いたことに税は国境を超え、世界の貧しい国々の人々の生活を支えているのである。

 国民は、このことを知ってまでも税を納めることに消極的になってしまうのだろうか。けれど、私は、このことだけは日本の人々に分かって欲しいと思う。それは、税を納めることに誇りを持って欲しいということだ。もしかしたら、貴方の納めた税が信号機や標識という形で誰かの命を救ったかもしれない。もしかしたら、貴方の納めた税が国境を越え、貧しい国々の人々を励ましたかもしれない。使われた先は知ることはできないから、どれも「もしかしたら」としか言えないけれど、少なからず貴方が納めた税は人々の約に立っているはずだ。だから税を納めることを無駄に思わないで、「私の納めた税は人の役に立っている」と誇りに思って欲しい。

 そしていつか、日本の人々が税を納めることに積極的になって国語辞典の言葉が「国民からとりたてるカネ」ではなく「国民が自ら納めるカネ」になることを願っている。

 そして私も、税を今より多く納める時が来たら、税を納めることを誇りに思い、積極的に税を納める大人になりたいと思う。